今日、電車に乗っていたら、とても気を惹かれる人がいた。普段、そういうことは滅多になくて、きっと、よくラノベとかである十人中九人が振り向くみたいな美人がいても、そもそも視界に入っていないから、振り向かない一人ではあるのだけれど。でも、妙に気になるものだから、どうしてかと考えた時に答えが出た。その人がどう考えているのかがとても気になるからだ。

 見た目もあるのだけれど、それ以上に行動が変な人だった。まず、髪型はポニーテールで、黒縁の眼鏡をかけているが、視線が鋭い。黒ずくめの格好でありながら、上はすらっと、下はだぼっとしたシルエットになるような服装で、靴はガチっとしたブーツ。しかも、とても重そうなショルダーバッグを抱えている。それこそ、コミケ帰りや帰郷のような。そんなものを持っているから、重心が偏り、電車の中での立ち方も変だ。しかも、椅子ががら空きになって座ったかと思えば、人が入ってきたら立ち上がる。電車の角に行ったかと思えば、扉の方へと流される。何がしたいのだろうかと観察していたら、僕の降りる駅の一つ前で降りていき、ああ、ここで降りるのかと思えば、そのまま別の扉から入ろうとしてきて、でも、扉が閉まるのに間に合わなくて、そのままホームのベンチへと歩いて行っていた。そんなこと、あります? 漫画みたいな行動してるじゃないですか。バッグに何が入っているのかでも訊けば良かった。声をかけるなんて完全に不審者だが、その行動の意味を知れるなら、安い代償なのに。

 僕はどうにもこういう人間を好きになってしまうみたいだ。椅子から立ったり、人の流れに逆らえずに、ホームに吐き出されていることから、過剰に周囲に気を遣っているような行動しつつも、目立つ格好と立ち方をしていたことからも、精神や知性が正常でない可能も大いにあるのだけれど、そこにどうしても魅入られる。考えて見れば、僕は変人フェチなのかもしれない。フィクションみたいな好きとでも言えばいいだろうか。自分が凡庸な人間であるが故に。

 

 考えて見れば、僕が他人に求めるものは四つに大別できる。

 一つは、大衆としての役割。どのような作品が面白いのか、どのような説明だとわかりやすいのか、そういう統計を取るために必要な存在だ。

 一つは、端末としての役割。一人では見切れない量の情報を見て、整理してくれたり、一人では出来ないことをやってくれたりする存在だ。

 一つは、鏡としての役割。僕は僕自身のことを知りたいので、そういう時に、人に対し、何かを投げかけることで、反射してくるものを分析することができる。

 最後に、解析対象としての役割。多くの人々は、何も考えていない、何も知らないと思えてしまうので、興味はないのだけれど、自分が理解できないことをしでかす人ほど、中で何を考えているのかはちゃめちゃに気になってしまって、好きになってしまう。その思考回路を理解するまで、その執着は続く。

 

 思い返して見れば、妻も、クラスで一番言動が理解しがたい人間であって、高校生の頃、一番頭の中身を解析したいと思っていた人だった。好奇心に勝る感情はない。