透明な膜

 『退屈でしょうがない、暇すぎてしょうがない、ぐわああぁぁぁ』みたいに呻いていたら、『そんなに退屈になったこと一度もないかも』みたいに妻が呟いた。確かに僕はかなり退屈を感じやすいようだ。刺激を感じにくいくせに、容易に刺激を求める。僕の悪癖のほとんどはここに起因しているように感じる。日々感じている退屈から逃れようとしているのだ。

 生まれてこの方、起きている時間の9割以上を退屈だと感じているし、社会に適合しにくい最大の理由もここにあると思われる。仕事とか、授業とか、退屈過ぎませんか? 小学生の頃、手元でペンやノートで遊びつつ、イスを傾けてバランスを取りつつ(とは言うものの、めちゃくちゃ転ぶ)、貧乏ゆすりをして、本を読もうとするみたいな不良児だったのも、結局、暇すぎるんですよね。倍速で授業を聞いていた時には集中できたわけだから。食事中のマナーが悪いと注意されることも多いのだけれど、別に躾られなかったというより、暇すぎて集中できないんですよね、食事に。いや、暇すぎるでしょ、食事。目の前のものを口の中に入れるだけとか。本当に世の中が退屈過ぎる。単純に時間当たりの情報が足りない。たぶん、食事とか温泉とか、そういう皆が楽しいと思えるものがあまり楽しくないのもここに起因していて、そのせいで、社会における報酬と、僕における報酬が噛み合わなくて、色々と不都合を起こしているんだろう。

 ゲームに対して、そこまで入れ込めないのも、基本的に退屈過ぎるというのが問題であって、この間も「バイオハザード7」をやっている途中で歩いている間が退屈過ぎてシャニマス片手にやり始めてしまった。そうなると、結局、どちらにも入れ込めないから、余計に刺激から遠ざかってしまって、並列するタスクをもっと増やそうとする悪循環に陥ってしまう。

 本当にどうにかして欲しい。どうしたら治るのか。