人間は理屈を付けたがる

 何にでも理屈を付けなければ落ち着かない性質を持っている。だから、たとえば、ある作品が面白くて、ある作品が面白くないとなると、そこに相反するものを見つけたくなってしまう。自分の言動とかもそうで、こういう時はこうして、ああいう時はああすることに理屈を付けたくなる。ここで書いていることなんかは、まさにその結果であって。

 でも、本当はそれが理由ではないんだろうな、と何となくわかっている。疑似相関であることは多いだろうし、基本的には多面的なものを総合的に判断しているのであって、ある要因だけの良し悪しで、全体の良し悪しが決まるわけではないだろう。つまり、僕が作品をああだこうだ言っているのは、自分の思想について無矛盾な理屈を探しているのは、完全に無駄な試みなのだ。

 そうわかっていても、それを探してしまう。きっと、それは僕は退屈で仕方ないからなんだろう。と、まあ、これも決めつけなのであって、実際には複合的な理由があるのだろうけれどね。