楽観的

 ポジティブだよね、と妻に言われた。取り立てて自分のことを楽観的だと思ったことはないのだが、妻をはじめとした他の人がくよくよしていたりするところをみたりすると、確かにポジティブかもしれない、と思った。

 なんというか、あまり自分に対して悲観的に思ったりしないのだ。将来を悲観したりはしないというか。まあ、未来という名の死を究極的に悲観しているので、他の部分は割とどうでもいいと思っており、楽観的になっている。人がいることによって生まれる創作物とか、人によって生まれる評価というものは大事だと思っているのだけれど、その機能自体に注目しているから、他人と自分とが隔絶したものと感じられているのかな。

 自分が自分にとってどうあるべきか、というのが大事だと思っているのだが、同時に自分は物理的な存在としての自分でもあって、それを制御しきれるはずがないという諦観があるというか……これは別の時にも思ったのだが、僕は個人の意思よりも物理法則やシステムにおける因果の方が強いと思っている節があるのだろうな。

 悲観的、というのは何を悲観的になるのだろうね。いずれ死ぬということが最大上限の悲観対象という感じで、それ以外はあまり悲観する必要がないように感じるんだよな。たぶん、何か執着があるんだろうね。執着があると、そこから恐怖が生じるのだろう。