「ファルコン&ウィンターソルジャー」の感想

 「ファルコン&ウィンターソルジャー」が終わった。終わったのだけれど、やはり、全体的に雑であると感じてしまった。「ワンダヴィジョン」にも共通する問題があって、ドラマシリーズには全体的に期待できないのかな、という結論になっている。もちろん、面白い部分もあるのだけれど、根幹的な問題があるように思える。

 まずは、ファルコン自身のドラマが薄いこと。結果として、キャプテン・アメリカという称号にふさわしいのか、黒人にそれが務まるのか、その意味、といったことが問われることになったのだが、そのテーマ自体の登場が遅いし、それが主軸になっていないように思える。なんというか、バラバラなプロットが同時に進行しているだけで、相互作用や対比が全く働いていないのだ。

 ジョン・ウォーカーもがっかりだ。ホスキンという相棒が殺されたことによる復讐という要素は、ブラック・パンサーとの対比にもなる。ジモもいることだし、その差をはっきり出して欲しかった。目の前にいる人を救う、ということを選ぶこと自体は良いのだが、それならば、5話における闇落ちの流れが意味不明というか、価値不在になってしまう。闇落ち自体を少し早めに持って行って、そこでの葛藤や結論をもうちょっとはっきり出す必要があるだろう。

 ウィンター・ソルジャーに関しても、トラウマの解消という最初の目的は発生されているのだが、そもそも、これ自体が、次期キャプテン・アメリカや超人血清を巡る争いというメインプロットとほとんど関わっていない。独自性が高すぎる。

 こういうような感じで、コミックでのキャプテン・アメリカ経験者というつながりはあるものの、そして、それぞれ過去や人種といった部分で、キャプテン・アメリカの資格を持つ者は誰か、という問いはメタ的に意味を成すのだが、劇中のテーマに繋がっていないのだ。全体的に脚本が良くない。

 それなのに、サブプロットであるジモやシャロンといった部分に時間を割きすぎている。結果として、最終回におけるファルコンとジョン・ウォーカーの会話といったような、最低限必要だと思われるものすら存在しない。

 つまりね、結局は前、僕が言っていたように、ドラマシリーズは外的要因によるメインへの干渉が強すぎる。ジョン・ウォーカーがU.S.エージェントとして活躍する必要があるから、最後は復讐ではなくて人を救うことを選ぶのだし、4話のクリフハンガーをつくりたいから、人を殺すのだ。そういう風にしか思えない。これにはがっかりだ。

 本当に質が高い人が集まっているはずなのに、どうしてこんなことが起こってしまうのだろう。予算がもったいないな。