現実の投影としての物語

 「ザ・ボーイズ」の5話を観ていて思ったのだけれど、彼の国でも、宗教を盲目的に信じている奴は馬鹿だ、みたいな風潮はあるのかね? 向こうの方がナチュラルに信仰者が多いから、そういうこともないかと思ったのだけれど、ドラマとか映画とか見ている限りでは、馬鹿のテンプレとして描かれているように見える。

 単純に予算規模とか、出来の良し悪しの関係で洋画を観ることが多いが、こういう背景的なところが完全に理解できないから、実際の面白さは半減しているんだろうなってなるのが、寂しいところではある。本当の映画好きがアメリカに渡って帰ってこないのも、こういうところから来ているんだろうな、と思う。本当に楽しみたいなら、向こうに行くしかない。まあ、僕はそこまでして100%理解したいとは思っていないので、別にいいと言えばいいのだけれど。

 本当はそういう、地域性や時代性に依存しない物語こそ、完璧な物語であり、究極の面白さがあると思っているけれど、それこそ、ただの信仰なので、何の意味も持たない。文化的な背景を暗喩として差し込むのは、容易に物語に含まれる情報量をかさましできるから、どうしても、多用されるよな……