残りの作業

 人生はピクロスのようなもので、解いていない行自体はあるが、すでに絵は見えかけている。もはや、面白みもなくなった行を解くという行為を繰り返して、この絵を明確にしていく作業に意味はあるだろうか。いや、意味自体はそもそもないのだが、そうしたいと思えるだけのことはあるだろうか。

 RPGをプレイすると、よく、ラストダンジョンらへんでゲームを辞めてしまった。アニメやドラマの最終話を観るのを辞めてしまう。漫画の最終巻を読まない。多くの場合、そういった人は、その作品を終わらせたくなくてそうしているらしい。僕はそうした理由ではなかった。もう、興味がなくなってしまうのだ。パズルの最後のピースは、ハマる場所が必ず決まってしまう。もはや、解く意味がない。興味が薄れてしまう。問題を解く、未知を暴く、そういう行為が楽しいのであって、完成には意味がない。

 最近、そういう気持ちを人生に対して強く感じ始めている。昔はまだ、机上の空論だった。今は、目の前の、喫緊の課題なのだ。このペンキが無秩序に塗りたくられたキャンパスに、さらに色を重ねていきたいと思えるだろうか。

 中学生になってしばらくした後、自分の想像力が極端に枯れてしまったことに気付いて、死にたくなった時があった。高校生になって、瑞々しい感性が、大学生になって、燃えるような情熱が、社会人になって、人々に対する配慮が、あらゆるものが失われてしまった。得られたのは、ちっぽけな知識と経験だけ。しかし、それが日々を灰色にしている原因なのだ。

 知的好奇心に支えられて生きているのに、その好奇心によって、未知の領域は塗りつぶされ、日々の新鮮さは薄れる。気付けば、空気が薄くなってきた。苦しいままに、息をする。それに見合うだけの楽しさは、残り少ない空白に残っているだろうか。