外見に惑わされる

 変な夢を見た。

 僕がテレビをつけて、ザッピングをしている(これは現実での僕の癖であって、テレビをつけては、これをやった後にテレビをすぐ消す)。そこで母だったか妻だったかが苦言を呈する。僕は、何かしらの情報を得られるのだから、意味があると言う。すると、「ハヤテのごとく!」だか何だかのアニメを放送しているテレビなんかに価値はない(?)と言われる。そこで、何故か僕が烈火のごとく怒る。別に「ハヤテのごとく!」が面白いとは言わないけれど(現実の僕も別に好きではない)、内容も観ずに否定するのはおかしい。そうやって、外見だけで判別されるのは嫌がるくせに、自分はそれをするのか。だから、この社会の人間は駄目なんだ。僕はそういうのが大嫌いだ、と力説する。そこで目が覚めた。

 このような夢になった理由は、なんとなく想像がつく。たとえば、前日に「トニカクカワイイ」の広告を見たとか。そして、夢での主張内容もまた、僕が常々感じていることなのだ。

 皆、外見で判断すること多すぎません? 僕がアイドル全般が苦手なのも、皆、外見に寄ってたかってるからなんですよね。絵にしろ、人間にしろ。努力がどうこうとか言うけれど、外見が悪くてもっと努力している人はいるでしょう。実際に、アイドルコンテンツに触れても、努力がどうこうとか、そういうことは全く思えなかった。中身がない。ガワが本質、という歪んだ形だ。もちろん、ダンスや歌など、そうでなくとも戦えるようなレベルの高い人もいるのだろうけれど。Vtuberにせよ、その中身があまり流行らなかったけれど、絵が付いたらそれなり、というのは、まさに外見の問題だったという証明になってしまっている。そんなに外見が大事か? 好きな人が、火事で全身焼け爛れたり、性別転換をしたり、あるいは好きな作品が、絵やフレーバー、3Dモデルが挿げ変わったり、そんな程度のことで好きじゃなくなるなんてこと、あります? なくない? 本質はそこにはないのでは?

 まーた、極論を言っている気がするな。まあ、わかるよ、フレーバーの大切さはさ。ゲームデザインにおいても重要な要素だ。でも、それはたとえば、トロイの木馬をテーマにしたカードを作る時に、トロイの木馬を想起するフレーバーである必要がある、というだけで、絵柄がアメコミとか、萌え絵とか、写実だとか、そういうのは関係ないんだよ。そういう、本当の意味での外見に、かどわかされている人間が多すぎる。だから、その中身まで知って好きでいる人間と、外見だけで嫌っている人間が対立することになるのではないか。僕は常に前者でいたいな。難しいところだけれど。