形而下の世界

 まあ、別にいいのだが、エンタメをしきれなかった挙句に、大したことを言っていない創作に辟易とすることがある。大抵、そういう作品は、物語のように誰かを倒しただけでは問題は解決しないとか、虚構ばかり観ていても現実は変わらないとか、そういうことを言うのだが、それで、最終的に何を言うかと思えば、未来は明るいだの、子供に託すだの、つがいになるだの、そういうことで終わりにしてしまう。

 黒幕を倒すのは駄目なのに、「ダーウィンが来た!」エンドになるのは良いのか?

 それこそ、安易な問題解決(本当は解決していない)の代表格じゃん、と思ってしまう。

 結局、人間なんて大したことはできないし、個人となれば余計にそうなる。良く出来た群集劇ならいざ知らず、基本的には物語は個人にフォーカスするので、個人でどうしようもない問題を扱った時点で、基本的には良いエンディングに導くことはできないのだ。超常の力を使う必要がある。戦争ものの傑作は任務ものにならざるを得ない理由はそこにある。戦争を解決することはできないので、任務を完了することにフォーカスするしかないのだ。

 そもそも、現実と空想をリンクするのは、その方が面白いからなのであって、別に啓蒙のためではないだろう。手段と結果を混同してしまう作品が多くてうんざりする。創作に力なんてないよ。せいぜい、人生の暇つぶしだ。そして、人生こそが暇つぶしなのである。個人ができるのは、隣人に優しくする程度だ。それすらもできない人間ばかりなのだから、それぐらいの主張にしておけばいいのに。