創作について考えるのは娯楽

 どうしたら、作品がよりよくなるのか、考えるの本当に楽しいな、と思った。まあ、本当にはた迷惑な話だし、作者は消費者よりも広い視点と、多くの情報を持っているから、ほとんど意味はないのだけれど。でも、楽しい。なぜなんだろう。

 すごい難しい問題を解いている気持ちになるんだよな。なんというか、たとえば、将棋で次の一手は、みたいなことは、総当たりにすればいいじゃないですか。パソコンにやらせれば、となるし、実際にそうなっている。科学的に難しいことも、統計を取ったり、シミュレーションをしたりする。

 でも、創作って、すごい自由度がある。調整できるつまみがいくらでもある。取り換えのできるモジュールが山のようにある。そして、組み合わせの問題もある。そういう無数の選択から、最もベストだと思われる形態を想像し、計算し、検討するのが楽しい。数多の問題を一気に解決することができる概念、つまりアイデアを思い付いた時などは、脳が快楽で麻痺するほど、脳内麻薬がドバドバ出る。僕の人生で、それに匹敵するほど楽しい気持ちになることは、今のところ見つかっていない。

 だから、つい本気で考えてしまう。そんなこと、意味がないと知っているのに。妻が呆れるほど、真面目に考える。自分の人生に関する選択肢に悩む時より、間違いなく真剣だ。全思考と全知識を使って考える。そんなことは滅多にないのに。なぜか、それに足るものだと、僕は昔から思っているらしい。

 何か、どこか、そういうことだけを考えて生きていけるところがないかなぁ。そうすれば、この背後から常にこちらに襲い掛かろうとする黒い影について考えなくて済むのに。