絶対的感覚

 何かとつけて上から目線だと言われる。これは、小学生の時分からそうなので、もう天性に近いものがあるのだろう。

 その原因となっている考え方はわかっていて、自分が絶対的であるという感覚だ。

 それは別に万能であるとか、優れているとか、中心的であるとか、そういうことではない。単純に、自分にとっては、自分は絶対的だということだ。

 端的に言ってしまえば、僕以外の誰が死のうが、僕は直接的に死ぬことはないが、僕が死んでしまえば、僕は死んでしまう。そういう絶対的な断絶があり、絶対的な優先順位があるということだ。

 まあ、だから、ここでも顔を出しているのは、やはり、死というものを絶対視している思考なのだろうな。そこから僕という人格を構成するものが発生している。

 だからなのだろうか、弱い人間が苦手だ。弱い人間は山のようにいる。雑兵にしか見えないし、他と区別できない。あまり付き合っていても面白みがないし、飽きてしまう。代替性が高いので、その人とわざわざ関わる必要がないのだ。思想がはっきりとした人間、我儘な人間、頑固な人間が好きだ。そういう人とは意見が異なっていたとしても、それがあまりにも根幹的なもので、会話が成立しなくなるものでなければ、関わっていきたいと思える。 僕が宗教嫌いなのも、宗教を信じなければいけない弱さが苦手という側面がある。

 どうして皆、強くあれないのだろうか。自分が絶対的だということに気付かないのだろうか。その前提があるだけで、皆が強く生きられるのではないか。