維持コスト

 人が死のうとしているのを、何か支援してまで止める意味がないと思ってしまう。なんというか、本人が突発的に、たとえば、今の仕事を辞めればいいだけなのに、視野が狭くなって死のうとしている、とかなら止める意味があると思うんですよね。ちゃんと外野が支援すれば、普通に戻る可能性があるのだから。

 でも、本人が理性的に、全く働きたくないとか、全く生きる意味がないとか、そういう結論を見出したなら、放っておいて死ぬのを待つしかないのでは? と思ってしまう。支援してまで生かしておくのは、かなりエゴイスティックな行為だと感じられてしまう。

 なにかしらの問題があって、それを除去するまでというものならばいいが、根本的に問題がある場合、その病巣を取り除くことができないとわかっているならば、それは対処療法でしかなく、延命治療でしかない。そんなことにコストをかけていいものなのか。どうせ皆死ぬのに。

 しかし、この考え方は極端と言う気もする。皆は普通に、家族や友人に生きてもらいたいと思うものなのだろう。漫画のようだなぁ、と僕は思ってしまったけれど。僕は生きている限り、付き合っていきたいと思うが、本人の意思で死んでしまったなら、寂しくなるというだけだ。生きてもらいたいと思うというのは、どこか本人を蔑ろにした考えのように思えてしまう。