イラつきの種

 イラっとするのはどういうタイミングなのかな、というのを自分の中でカウントしていたら、圧倒的にある瞬間が多かった。それは自分の中では些事だと思っていることに時間を取られることだ。

 AでもBでも変わらないのに選択を迫られるとか、すでに意味がないとわかっていることをやらされたりだとか、どうでもいい書類を書かなくてはいけない時とか。

 要は、きっと、自分の時間の価値を高く見積もり過ぎていて、しかも、どういうことが大事で、どういうことが些事なのか、という基準が一般的なそれと違うのだろう。だから齟齬が生じる。

 皆がゲームデザインとか、脚本技術とか、そういうことばかり話している社会になればなぁ。面白いものを面白くすることにしか興味がない。どうして、社会の人々は詰まらないことを延々とやってられるのか、理解に苦しむ。