成長のない持続を惰性と呼ぶ

 気付いたら、同じ時期に始めていたボードゲームのブログの更新が止まっていた。ネタ的に大変そうだなと思っていたのだけれど、残念ながら予想は当たってしまったようだ。あるいは、反響が思ったほど多くなかったのかもしれない。僕の方は、特に何のイベントもないままに淡々と更新が続いている。

 何かを書くということは、それなりに労力のかかることだ。僕はそこまででこだわって書いたことがないので、ローコストだが、やろうと思えば考えることなど無数にある。しかし、その労力に比例した反響があることは少ないだろう。ちょっとしたタイミングで、テーマとして取り上げた題材の流行り廃りで、反響なんてものは大きく変わってしまう。それに一喜一憂していたら、確かに続けられないだろうとも思った。

 僕は、飽き性であって、持続性のない人間だと思っているのだけれど、続けられるものは続けられる。これまでにも、意味がないままに続けてきたことは山のようにある。そのほとんどは自己満足のためのもので、公開したり、応募したり、といった人目に付くようなことに繋がっていないのがほとんどだ。それでも、続けたいものは続けられる。なんというか、結局、自分がどう思っているかが大切なので、反響はついでという感覚なのだ。

 しかし、これは良し悪しだろう。人の評価を気にするから、技術は向上するのだし、最後まで完成させられたり、人々の応援に勇気づけられたりする。そういうことがない持続というのは、ただの惰性であって、成果が出るようなものではない。緊迫感もなければ、価値もないのだから、当然のように。僕はそういうことばかりしているので、お察しの通り、という感じだ。人から評価されたいという気持ちが重要なのだ、この社会では。