重量差によるボードゲームのひな型

 ボードゲームにおいて、入力と中身のメカニクスに関して考える。

 軽量級ゲームは、入力はインタラクションがメインになっていることが多い。あるいは、パズルそのものだ。短い時間に多くの人が楽しめ、ルールがシンプルとなると、必然的にそうなってしまうのだろう。勝利点は明確で、カードにそのまま記載されているゲームも多い。しかし、そうなれば、ただ高い点数のアクションを連打すればよいということになってしまう。その考えを阻むのがインタラクションだ。「ハゲタカのえじき」、「ニムト」に代表されるようなバッティングだったり、プロットだったりという形になりやすいのだと思う。

 中量級ゲームは、入力がパズルやインタラクションになっているゲームが多いように感じる。中身としては割とシンプルで、資源を得たり、それを勝利点に換算したりする。その部分の見通しは良い。ただ、入力がマンカラだったり、プロットだったり、で複雑なパズル、あるいはインタラクションになっている。だから、最適解がわからなくなる。一方で、中身としてはシンプルなので、短い時間で終わるし、見通しもよい。初心者にも進めやすい。これは比較的すぐ終わってしまうために許される構造だ。

 重量級ゲームは、入力はシンプルにまとまっている。ただ、中身が複雑だ。「グレート・ウエスタン・トレイル」や「ブラス:バーミンガム」などを考えてもらえばわかりやすいが、入力は簡単で、何歩自分の駒を進めるかとか、手札から何をプレイするかとか、そういうことが主軸になっている。しかし、中でやっていることが複雑で、どのアクションでどれぐらいの勝利点が取れるのかが秘匿されている。インタラクションがバリバリに効いていたり、遅効性の効果だったり、パズルが複雑だったりして、勝利点がわからない。良い手と悪い手が簡単にわからなくなっている。だからこそ、長い時間プレイしていても、途中で勝敗が明確化しにくいし、リプレイによる上達がある。

 もちろん、例外も多いが、このように考えることはできると思う。