なろう小説への理解

 今まで、なろう小説の何が面白いのか全くわからなかったのだが、ある記事を読んで理解が深まった。 なろう小説は、揶揄でも何でもなく、媒体の違いというより、性質が全く異なるのだ。文字を使っているということだけが共通している。これを小説や物語として面白くないという指摘は意味をなさない。例えば、ゲームのプレイ動画や実況動画を持ってきて、映画としての面白さが欠片もないと言っているようなものだ。同じ動画ではあるけれど、目指している場所が違う。

 ただ、僕が思ってしまうのは、なろう小説だけではなく、ゲームの実況動画とかでも思うのだけれど、そういうのが好きな人って、現実で充足感を得られる気がするんですよね。例えば、弟や父はゲーム廃人なのだけれど、FPSやMMORPGというコミュニケーションと修行が必要なジャンルの廃人であって、かなり上手く社会に適合している。それはそうだろう。なぜなら、このコミュニケーションと修行というのは、現実での動作、もっと言えば仕事に求められることなのだから。単調な動作を繰り返すことで、自分のステータスを上げていくのだ。なろう小説も、コストを極端に低く(無料で文字を読むだけ)、リターンを極端に大きく(無双でハーレム)しているけれど、やっていることは、単純に経営とか修行なのだから、そういうので報酬系が働く人間は、普通に仕事やればいいじゃんと思ってしまう。

 まあ、創作は社会に適合できない人間だけのものではない。だから、別にいいんだけれど。でも、なろう小説が好きなら、もうちょっと現実に力を入れれば、それなりに楽しい人生が待っていると思うよ?