やることを増やせばいいわけでもない

 ソシャゲとかやってると、よく廃人的な周回を前提としたシステムが登場することがある。それは工夫で短縮できるものではなくて、ただ時間をどれだけ掛けたかが求められることが多い。逆にしっかりと考えられたものしか用意しないために、コンテンツが少ない作品は、やることがないと言われ、叩かれているのを何度か見た。それで思ったのだけれど、別にやることを増やせばいいだけってわけでもなくないか?

 個々の性質にも寄るのだろうけれど、僕はこの忙しさみたいな面白み、つまり時間やスタミナのリソース管理による楽しさはやることが多様にあるということが大事だと思う。つまり、Civilizationでいう所の、内政もやりたいが今のうちに戦争も仕掛けたいから、あそこでは図書館、こっちでは兵士を作って、このテクノロジーを目指して~みたいな忙しさだ。あと数日しかないけれど、このアイテムを交換するためには、このエリアを何周クリアしなくてはならなくて~みたいな忙しさではない。縦というより、横の忙しさの方が人間としては楽しいんじゃないかと思うわけだ。

 まあ、でもそういう忙しさって作るのが大変だし、雑に廃人周回をコンテンツにしたい気持ちはわかる。モバゲーとかもそうだったし。でも、それは、ごく一部のそれに適応した人間だけが残って、普通の人は飽きるという荒野へ繋がる選択だと思うんだよね。MMORPGを見ればわかるように。

 ゲームのプレイ時間が長いとか、テキスト量が多いとか、そういうのを売りにしている作品に近いものを感じてしまう。これらは、試行錯誤が楽しめるシステムや重厚な物語を生み出すために結果として必要なもの、つまりは副産物であって、メインとなり得るものではないのでは? 単純に同じ面白さだとすれば、短い方が優秀なのは間違いないでしょう?

 結局のところ、現代の人間は自分の人生をもてあましているのだろう。だから、寿命を蚕食するものを欲しがっているんだ。それは仕事であり、家族であり、趣味であり、娯楽である。そうでしょう?