責任の限度

 理想通りのことができなくて、自分を責めるということがよくわからないという話をしていた時に、妻から発せられた言葉が面白かった。彼女曰く、僕は良いことも悪いことも自分のせいにしないというのだ。確かにそうかもしれないと思った。

 何かに成功したとしても、それは運が良かったとか環境が良かったとかチームが良かったとか、色々な要因があって、その一つに自分の能力があるだけなので、特段、自分が成功に貢献したとは思えない。これは褒められてもあまり嬉しくないことにも繋がっているのかもしれない。

 逆に失敗しても、それは色々な要因があるのだから、自分だけのせいでもないだろうと思う。特定の誰かを責めることもない。そもそも、それを行うという決定を別の人がすることもあるし、そうなってしまったのは偶然もある。誰のせいでもないという考えだ。

 そうだ。厳密に言えば、誰かの責任にするという行為自体を、僕はしないし、好んでいないのだ。誰か特定の人だけが全て悪いなんてこと、あります? 仮にそういうことがあったとしても、その人がそういう行動を取るのは、そういう脳であるからであって、それを責めるってなんかお門違いだと思いません? ある意味で諦観ともとれるかもしれない。僕は僕自身も、その人生にも、僕の意思というものが強く作用して、良くなっていくとは思えないから、逆に自身を責めることもできない。そんな思いは間違っているのだろうか。