憧れに関して

 思ったのだけれど、憧れの相手みたいなのがいないのが問題なのではないかと。つまり、ロールモデルというか、そういうものが足りないからどうしたらいいのかわからないのかなと思った。

 昔から、どうにも人のファンにはなれない。その人が生み出す作品は全部好き、みたいな人は結構いるのだけれど、その人自体のファンではないというか、憧れがない。その人に会いたいとか、サインもらいたいとか、その人みたいになりたいとか、そういう生活がしたいとかがあまりなくて、生み出される作品を追っていくだけになる。人嫌いのせいでそうなっているのか、だから人嫌いなのかはわからないが。

 結局、その人のファンになるということは、狂信的である、ファナティックになるということだ、みたいな記事をネットで見つけて、納得した覚えがある。人自身に憧れを抱くということは、その本来であれば不完全なものを許容するということだ。嫌いな部分までを好きになるのか、曲解するようになるのか、見てみない振りをするのか、僕にはわからないが。本来、完全に憧れと、自身の完全な象徴と整合するということはあり得ないと思う。何かしら、合わない部分は存在する。でも、それでも、その人を追っていくのだから、そこにはやはり、狂信的なものがあるのだと思う。僕には、誰かを信仰対象としたり、自分と重ね合わせたり、その成長や生き様を自分の糧のように錯覚したりすることは出来ない。自分は自分である。どんなにくだらなくて、見込みが無くとも、僕は僕だけを自身の中心に位置づけている。