浪費に関して

 つい、時間を浪費してしまう。本当は何かに使えたはずなのに、だらだらと過ごしてしまい、一日が終わる。どこかでそれを認めている自分がいる。何故かと言えば、その有意義と誰かが称している時間が、結局は意味のないものだと思っているからなのだろう。その誰かは時間やお金を自分に投資すべきだという。しかし、それで得られるものに僕は価値を見出していない。

 ある意味で、そういう意識の高い人間は、人の創り出した理想像のようなものや、社会の要求に対して心酔できるのだろう。そういった、ある種の狂信者が、自分の信じているものは素晴らしいと言っていたとしても、耳を貸す気持ちにはなれない。結局、何かを信じ切ることが、僕にはできないのだろう。それが熱狂を生み出し、人生に充実感をもたらすとしても。その熱狂こそが僕には最も必要なのに。

 結局、自分が価値を見出したものに、あらゆるものを注ぎ込めればそれが幸福なのだろう。その試みが成功しようが、失敗しようが。問題はそれだけの価値のあるものに、僕はまだ出会えていないということなのだ。ゴミのような価値しかない僕の人生だが、僕にとっては唯一無二のもので。世の中のものは、そもそも価値が無いようなものばかりがあるように思える。ああ、死ぬ直前に、僕はこのために人生をかけて良かったと思えるものがあるというのだろうか。