妻が自身のことを僕の枷だと言った。自嘲を込めての言葉だっただろうが、それは正しくもあった。彼女自身がそういったように。

 一つは、単純に負荷が増すという意味での枷だ。彼女は今、ほとんど働いていないから、彼女の維持費は僕が出している。僕は生活全般におけるこだわりがないから、全て廉価なもので賄おうとしてしまうが、彼女にはこだわりが強くあるので結果として彼女が決めたモノやコトを選ぶことが多い。そして、それは当然のように僕が選ぶはずのものよりコストが高い。あらゆる面で、僕が一人でいるよりもコストがかかっている。

 一つは、僕の執着になっているという意味での枷だ。彼女が全てと言うつもりは毛頭ないが、やるべきタスクとして存在していることは事実なのだろう。

 思うに、この世の多くのことは枷のようになっている。それがあるがゆえに、生きることに執着が生まれ、それがあるがゆえに、生きることが苦しくなる。少なすぎれば、自身を維持していく理由がなくなるが、多すぎれば、自身が維持できなくなってしまう。おそらく、人によって適した枷の数があり、それに近くなるように、自身で増減させていくのが一番良いのだろう。自分に適した数を知るのが、一番難しいことのように思えるが。