ガワだけがあるもの
なんか、SNSでは、アニメやゲームの話をすべきとか、殺伐としていないものを望むとか、政治経済やスポーツの話はして欲しくないとか、たまにそういう意見を見つける。しかし、なんと言えば、いいのだろうか。単純に当たり前のことだけれど、個人の自由にすればという感想しかない。他人がどのように思うのかを制御することは出来ないのだから、受け手である自分自身の認識を変えるか、それを受け取らないような環境にするしかない。本当に当たり前のことなんだけれど。でも、なんか、ベストな環境というものがあると思っていて、そこから離れていくことを嘆く人が多くないだろうか。
僕はどちらかというと、現状維持も含め、何かの状態を望むことに違和感を抱いてしまう。もし、これが創作の話なら、科学の話なら、そうではない。真実は、辿り着く先は、確かにあるのだから、それになるべく近づけようという話になる。試行錯誤をして、正しい姿を炙り出そうとする。でも、SNSのような社会の側面があるものなら。そこにあるのは、ただの演繹結果でしかなくて、理想に近づこうというなのですらない。個々の言動が絡み合い、一つの形を取るだけなのだ。それに文句を言っても、それに嘆いても仕方ないとしか思えない。上や下があるわけではなくて、ただ混沌とした何かがあり、しかし、本質はない。だから、僕はそういったものに興味が持てない。やっぱり、文句を言っている人は何だかんだ、それに依存しているのかもしれない。だから、自分の居心地の悪いその状態を変えようと足掻くのかもな。別にフォローする相手を変えれば、としか思わないけれど。