一戦を超えるか

 退廃的な人間でも、タイプの違いがあるなと思っていて、端的に言えば、犯罪や他者への侵害を厭わないタイプと、それを避けるタイプだと考えている。

 普通に考えれば、前者の方が理に適っている。何も持たないし、社会の報酬系とはかみ合わないのだから、好き勝手やっていいはずだ。他者を侵害してもいいし、法を犯してもいい。好き勝手やって、野垂れ死ぬ方が正しい。残念ながら、まともに社会で生きている人間より、こちらの方が理屈として、明らかに正しい。皆は死に、世界に意味などないのだから。

 でも、僕はそれを厭うタイプだ。他者を侵害することはどうにも好きになれない。一つは僕が死を怖がっていることにつながる。法を守らない者は法に守られない。そこまでリスクをかけてやりたいことがない。そう、そんなに面白いと思わないというのも大きい。これがもう一つ。僕は人の心を読むのがとても苦手だと自負しているが、しかし、共感能力はあるようで、誰かが嫌がっているのは単純に嫌なのだ。昔から、誰かをいじったり、ということですら、嫌だった。全くしてこなかった。単純に敵対関係になり、互いに文句を言い合うのならいいが、誰かを集中して攻撃するようなことは面白くないと感じていたし、興味がなかった。だから、人の輪に入ることをよしとせず、人の顔をうかがうのが苦手になってしまったのだろうが。他人の理屈に納得できないことは多いが、彼らは彼らで勝手に僕とは関係ないところでやってくれという気持ちが勝る。最後に、やっぱり、他者と関わり合いたくない。なるべく、関わり合いを避けたい。どんな関係でも。その忌避感を超えてメリットがある人としか、付き合いたくないのだ。だから、わざわざ、他者と干渉して面白がることはできない。遠くから、情報を聞くだけで、楽しむといったレベルが限界だ。

 うん、やっぱり、単純にメリットデメリットの関係なのだろうな。僕にとって、利点の方が大きいと判断したのなら、何でもやるだろう。ただ、基本的に人を苦しめるようなことは、面白くないし、面倒の方が先行するということなのだろう。そんな振り切れなさが、自身の中途半端さや凡人さに繋がっていると思うけれど。