結婚に関して

 この間、クソ知恵袋でクソ質問者が流れで結婚してしまい、後悔しているみたいなクソ質問をしていたのを見てしまったせいで、どうして、みんな何も考えずに流れ作業で就職、結婚、出産をしてしまうのだろうと考えたので、僕が結婚について考えていることをまとめようと思った。

 まず、僕は結婚するつもりはなかったし、する必要もないと思っていた。結果として、しているが。どうしてしたかというと、単純に社会的なメリットが大きかったからだ。いや、もっと具体的に言えば、経済的なメリットだ。クレジットカードでは家族カードが作れるようになるし、家族の銀行口座なら例外で登録可みたいな処置も多いし、税金も融通が利くし、扶養にも入れるし、家も借りやすくなるし、税金も安くなる。普通にこのまま一緒に暮らすのならば、結婚しない手はなかった。そんな理由で結婚の処置を行ったため、当然のように結婚式はやっていないし、指輪も買っていないし、そもそも家族への報告も一年後ぐらいにした。というか、僕なんか義父に初めて会ったのは、結婚してから二年後ぐらいだった。そんなメリットがあるからこそ、僕は夫婦別姓同性婚には賛成の立場を取っている。もともと、結婚というのは、子供のために作られた制度であることは間違いないのだが、現代ではその意味合いは消失している。現に、高齢結婚もできるし、身体的に子供ができない人でも結婚できるし、僕たちのように子供を持つつもりのない人間も結婚できる。その場合、同性であるというだけでメリットを受けられるのはフェアでないと思う。僕と妻が同性だった場合にも、同じような出会いや過程があれば、ともに暮らしていたと思うし、その時に異性である場合とえられる恩恵が異なるのはどうかと思う。まあ、公平感を考えなくても、僕は自分に対してデメリットがないもので、他者がメリットを得られるなら、何でもやるべきだと思う立場なのだけれど。閑話休題。つまり、僕たちは社会的な利点を優先し、結婚したといえる。社会的な立場は既婚者という点で上がったわけではなく、むしろ家族や親族に挨拶もせず、式も挙げず、子供も産まずにへらへらと生きていることで下がっている。

 まあ、なんかそういったことを何も考えずに、周りが結婚し始めたからという理由で結婚を意識し始め、子供が欲しいだの母になりたいだのという気持ちを、それが本物かも確認せずに生きている人々がいると知って、頭が痛くなった次第。考えることはしないのだろうか、社会が用意しているステージがその実、どんな意味を持つのか、そして、世間の考えと実際の損得にどんな乖離があるのかということを。どうしたら、何も考えずに生きていられるのか、不思議でしょうがない。シナリオやシステムを必要としないままに生きている人間にも同じような感情を抱くのだが、彼らはどうやって、現実と都合を合わせているのだろうか。いや、合わせる必要がないのか。彼らは現実に完全に適応しているのだから。それはヒトデが統合された情報を持たずに生きていけるのと同じなのだろう。彼らに情報統合の複雑さという意味の意識は存在しないのだ。