同性

 なんで、恋愛漫画はあまり好きではないのに、百合漫画は好きな奴もあるのかな、ということを考えていた。

 

 まず、同性であるということが障害になっているという点。

 つまり、たとえば、好き合っている二人が異性であり、既婚者とかでもなければ、そこに障害はないわけですよね。家庭環境とか、そういうもので障害を用意するしかない。しかし、そういったものも古典的な要素であって、一般的には複数人ではない性別の方が、あまり自覚的でないとか、何らかの都合があるとかで、意識していないみたいな作りが多くて、まあ、その場合、自覚したり、障害を取り除いたりしたら終了なんですよね。でも、それって恋愛漫画じゃないんですよ。だから、そういう構成にはならない。それが面倒というか、もう、問題解決してるじゃん、これ、長引かせる必要ある? みたいになってしまうので、僕はあまり恋愛漫画が好きではない。

 同性であれば、一応は、そこに根幹的な問題があることになる。ただ、ここで長引かせる作品は現代的でなく、特に異性が恋愛関係の間に入っている(正三角関係など)でなければ、基本的には顧みられていないように感じる。よって、この部分はあまり重要ではないと考える。

 

 次に、同性であるがゆえ、執着を描いているという点。

 異性であれば、ある意味で好き合うのは当たり前であって、そこはカッコいいとか、カワイイとか、尊敬できるとか、エピソードがあるとか、そういう部分的なものしか描かれないことが多いように思われる。しかしながら、同性である場合、本能的なそれはないこともある(あることもある)し、少なくともどちらかはヘテロである場合も多いので、それでも惹かれるという理由を丹念に描くことが多いと考える。

 僕は人の執着というのが好きで、それがなければ全人類死ぬぐらいに思っているので、そういうところに惹かれている可能性は高い。

 

 最後に、単純に僕視点の異性しか登場していない点。

 まあ、でも、BLも読むので、要因の一つでしかないという気もする。そんなこと言ったら、全部要因の一つでしかないけれど。

 

 こういった部分を総合して、そうなっているのだと思う。