仮想の青春

 正直に言ってしまうと、青春の感じが良くわからない。

 中学生の頃のことはあまり覚えていないし、高校生の頃はバイトとアニメやゲームに精を出していて、それ以外のことはほとんどしていなかった。部活をやっていなかったし、好きな人なんかもいなかったから、青春の雰囲気みたいなものにどうにもピンとこないまま、こんな歳になってしまった。おぞましい。今にして思えば、高校生の時分に、それこそ妻と映画を観に行ったりしているのだから、本の貸し借りなどをしているのだから、それが青春なのかもしれないが、当時は数少ない趣味の共有者と活動しているという印象だったので、感情的にそれをとらえることができなかった。あるいは、今でさえそうだ。彼女とは、恋愛感情のようなものというより、人生や生活、思想や主義といったものの共有者、同盟者といった感覚が近く、庇護の感情や執着の方が大きくなってしまっている。親子のそれに近い。

 少女漫画の主人公のように恋愛に憧れることはないのだが、その感覚を積極的に得るように動くべきだったと現在はとても反省している。今更、それは得られないだろうから。ラブコメの感じが良くわからない。小説上や映画上の恋愛も文法上に従ったやり取りなら理解できるが、もう一つ踏み込んだ表現になると途端にわからなくなってしまう。現実世界でもそれを察するのは苦手で、誰と誰が付き合っていて、誰と誰が仲良しで、誰と誰が嫌い合っているのか、まとめた表を掲示しておいてくれと、本気で思っていた。創作上ですら、込み入ってしまうと関係性がわからなくなってしまう。映画が終わった後に、こいつとこいつの関係はこうなの? みたいなことをネットで調べたり、妻に聞かないといけない。思うに、人間関係を察するのが苦手なのかも。

 同じように、夢や目標に向かうようなこともしなかった。僕は漠然と普通の高校に入り、普通の大学に入り、普通の会社に入ると思っていたから、将来に対して何ら希望も抱いていなかったし、部活にも所属していなかったから大会や賞といった短期的な目標を持つこともなかった。入試もずっとA判定のままのものに挑んだから、受かるのが当たり前であって、試練ではなく、達成感もなかった。仲間というような存在はいなかったし、思想を同じくする者がそもそもいなかった。今ならば、妻は割と近いのだが、当時の妻はちょっと今とは違う思考をしていたので、あくまで一部の趣味を共有しているに他ならなかった。

 本当にわからない。実感がない。多くの日本人が、戦争というものを知り、戦場の空気感に創作上で触れたことがあるにも関わらず、戦争の当事者感覚は理解していないと思っているでしょう。それと等しい。本当にわからない。困っている。しっくり来ない。多くの人から支持を受けているものが、理解できない。これは面白さを追求したい僕としては致命的だ。美味しいカレー屋を開きたいと思っているのに、嗅覚が利かないのと同じだ。スパイスの分量がわかっても、それがどのような香りを生み出すのかを知覚できないのだから。どうにかならないのだろうか。ならないのだろうな。わかっている。時間は不可逆だし、僕が同じ時間を再び過ごしたのなら、同じように過ごすに違いないから。諦めよう。そんなことは腐るほどある。僕や一般の多くの人が絶対音感を持たないまま死んでいくように、僕は青春の空気を吸うことなく死ぬ。