想像力が豊かな人になりたいと思うんだ

 妻はよく虚空を見つめている。数時間という単位でぼんやりしていていることさえあるのだ。僕はそういうことができない。手元のゲームをやったり、本を読んだり、ネットサーフィンをしたりしてしまう。数分といった単位ではぼーとしていることもあるが、何も情報がないところに長々といることはできない。この差は、想像力の差から生まれるのではないかと思った。

 僕は、想像力に乏しいという自覚がある。そういう人にとって、少ない入力から出力を絞り出すことは難しい。だから、例えば物語を書く時でも、関連している作品を漁ったり、参考資料を確認したりする。アイデア出しもメソッドを使ったり、メモを残したりする。それはもはや、想像というよりも想定に近いものだろう。

 一方、想像力が豊かな人にとっては、入力は最低限で済む。そのわずかな情報を根として、多くの想像の枝が伸び、感情の花を咲かせ、様々な場面を実らせるのだろう。だから、ちょっとした想像で数時間もぼんやりしていられるのだと僕は思う。

 僕も昔は今よりも想像力が残っていた。いろいろなことを妄想して、それがまるで目の前にあるかのように感じられていた。しかし、中学生のある時から、それが枯れてしまったことに気付き、しばし、茫然としたことを今でも覚えている。僕の場合は、不可逆的な変化によって、その豊かな内面は失われてしまったのだ。だから、子供じみた所為であろうとも、そういう想像力をまだ残している人には憧れる。尊敬している。