カテゴリー

 もともと精神的に男性で生物学的に女性だった人が、心と同じように男性になると、逆に男性性を強調するようになってしまうという話を聞いた。しかも、自分が昔、嫌っていたはずの言い方――例えば、彼女をモノのように扱って、自慢話にするとか――をすることもあるそうなのだ。これは、男性らしさを追い求めた結果であるとは言え、あまりにも皮肉な結果と言えるだろう。その時に思ったのが、カテゴライズに苦しめられた人は、結局、カテゴライズにこだわってしまうのではないかということだ。

 たとえば、僕の父は町工場のようなところに勤めるような人間であった。その時は、上、つまり発注元の大企業が無茶ぶりをしてくるだとか、現状がわかっていないだとか、そんな文句をよく言っていた。しかし、今はその大企業に勤めており、今度は町工場の人間は全然ダメだ、というようなことを言う。ああ、こいつは、昔、自分がいた場所すら思い出せないような、想像力が欠如した人間なのだろうな、と僕は考えた。そして、今度は、新卒で入った奴らは、とか、高卒なのにここまでの地位にいるのはすごい、とか、そんな話をするのだ。思うに、彼はそういうカテゴライズに苦しめられてきた人間なのだ。だから、自分が優勢なカテゴリでは、それを誇示し、劣勢なカテゴリでは、それを嘆くのだろう。

 僕はそういったことはほとんど意識していない。少なくとも、意識的には(トートロジー)。おかげで、苦しめられることも少ない。だが、これは単純に僕が幸運だったということを指していて、特にできた人間だからでも何でもない。

 大学生の頃、たまに僕を含めた三人のグループで行動していた時があった。その時の一人がある時、自分の身長について愚痴を漏らしていたことを思い出す。僕はその時まで全く気付かなかったのだが、彼の身長は日本人の平均より少し低かったのだ。僕ともう一人は、平均よりも一回りぐらい大きい。だから、コンプレックスに思っていたようなのだ。しかし、そんなことは実際、本人でもなければ気付かないようなことだ。僕は微塵も感じ取れていなかった。でも、劣っていると思っている部分があると、どうしてもカテゴライズを気にしてしまうのだろう。

 そう、だから、僕は恵まれているのだと思う。身長も低くない。体型も太ってない。学歴も低くはない。あと、なにが問題となるカテゴリなんだろう? ああ、勤め先は大企業とかではなく、零細企業だな。お金もない。これは幼い頃からだ。あるいは、将来的にハゲたりすると、また髪の話をしている……みたいになるのだろうか? そんな感じで、コンプレックスに思っていることに思い至らない。割と恵まれているからなのだろうが、他人をみた時にもカテゴライズというより、その個人に注目する。属性はどうでもいい。価値観が合うか合わないか、一緒に話したいと思えるか思えないか、だ。

 本当は、だれしもがレッテル張りやカテゴライズをせず、個人を観ることができるようになればいいのだろうな。ただ、人間の認知機能から考えると、そんな時は一生来ないのだろうが。人類がここまで発達したのは、カテゴライズ、つまり象徴化ができるからなのだから。人間の精神性というものは生まれながらに矛盾し、業を背負っている。