敵と口喧嘩する時に気を付けていることがある。それは棘を残すということだ。

 棘というのは、懸念や疑心というべきものかもしれない。つまり、『皆、こう思っているらしいですけれど、誰も言わないので、僕が言いますが』と枕詞を置いて文句を言うような行為だ。これをするとしないのでは、効果が全然違う。僕が単に文句を言うだけであれば、それは敵対者の言葉だ。もともと互いに悪口を言い合うのだから、そこには想定された威力しかない。耳を貸さないということも可能だ。しかし、棘を刺したのであれば。その時はきっと、僕の妄言や暴言だと思うことだろう。だが、少しでも身に覚えがあるようなことだとする。すると、ちょっとした時に僕の言葉を思い出して、勝手にそれを反復するようになる。相手を少しだけ信じられなくなる。それは本当なら、味方であったはずの人だ。初めから敵である僕のような人ではない。これはある程度効果的であるようで、棘がなかった時に比べて、相手が弱体化する可能性が高い。これは不可逆的な変化なのだ。聞かなかった時は傲慢にふるまえても、一度意識してしまえば、それを完全に記憶から消すことは不可能だ。

 きっと、僕はそういう棘を与えたがっている。そういう不可逆的な変化をさせられた憎々しさを世の中に蔓延させたいと思っている。ああ、そうだ。僕もその棘を植え付けられた。他ならぬ僕自身によって。死の感知という形で。