購入は経験を伴う

 ものを買うという経験は、その実、ものの量や質に比例しない幸福度をもたらすと考えている節がある。

 例えば、無限の金があったとする。欲しいと思ったものは何でも手当たり次第に買える。でも、そうなったら、買うことを面白いとは思えなくなってくると思う。実際には、金と時間はトレードオフなので、買ったものを使用したりする時間は無くなるので、余計にその傾向が強くなるはずだ。

 僕の経験から言っても、金が余っている時に買ったゲームは未だにやっていないものが多いし、デバイスも役に立たないし、本も読み切れていない。逆に、金がない時、つまり幼少期に買ったゲームなどは、何度もプレイして記憶に残っている。

 大人になってから、いや、厳密に言えば、バイトができるようになってから、ゲームが以前ほど楽しくなくなったのは、そのせいもあるのではないか。欲しいものを欲しいと思える時間や、それを手に入れた喜びをかみしめたり、あらゆる制限から、どれが本当に欲しいのかを考えることが大事なのではないのだろうか。チートをしてなんの制限もなくなったゲームが、ただ数値を増やすだけの遊びではない作業になってしまうように。