美術の課題に関して

 妻と話をしていて思い出したのだが、僕はいつも美術の課題に対して、制作を始めるのが遅かった。なんというか、想像力がないのだろう。どういう作品を作っていいのかがわからないのだ。周りが作業を始めて危機感を覚えるのだが、なかなかテーマを決めることが出来ない。結局、最後の最後になって、大量のサンプルという名の教科書や周囲の作品をみて、ようやく、自分の方向を決める。こうなると作業自体は早いので一気に作りあげて提出が出来る。

 中学生頃になってからは、割のいいやり方を覚えてきて、無難なものを最速で仕上げて、後はサボるという風な手法をしていたが、素直だった頃はただ愚直に悩み続けていた。どうして、皆が自由作文とか、美術作品とかの自由度が高すぎるものへすぐに着手できるのか、自分の創りたいものが最初からわかっているのか、不思議でしょうがなかった。

 そうだ、僕は昔から内からわき出る想像力のようなものに乏しかったのだ。それを表現したいという情熱のある火種が自分の中に存在しない。周りからの情報をかき集めて、期限が近づいてきて、ようやく、自分が創るべきものを見つける。大元は二十年前と全く変わっていない。

 だから、僕は未だに悩み続けている。モラトリアムの期限なんてとっくに切れて、皆がゴールへ辿り着いているというのに、スタート地点にすら立っていない。いや、厳密に言えば、スタートはすでにしていて、あらぬ方向へさまよい歩いているだけなのだろう。希望はない。ただ、時は過ぎていき、僕は死に近づいていく。