無編集なものに関して

 考えて見れば、僕は無編集なものが苦手なんだと思った。それはラジオだし、生放送だし、配信だし、スポーツ鑑賞だ。

 何故かと言えば、それは日常のペースで進むからだ。編集を施せば作品になるが、無編集というのは素材そのものであって、日々に出くわす諸々と大差がない。そういった緩慢なものに対して、感情を抱けないから作品を追っているのだ。時間当たりの情報量が少なすぎるし、予想外のハプニングで質は落ちていく一方で、完璧でないものを提供しているのも嫌だろうし、それを受け取るのも嫌だと思ってしまう。どうやら、僕の根底には完璧主義者のそれがあるのかもしれない。基本的に作品に対しての評価も減点式であることが多いし。

 編集されているのは、映画だし、アニメだし、ゲームだし、小説だしで好きなものばかりだ。この日常があまりにも本質的でなく、飽き飽きするような構造ばかりなので嫌になっているのだから、当然の結果と言えるだろう。

 無編集なものを愛することが出来る人々は、そのまま日常を愛せばいいと思う。そうやって、生きていける人々でしょ、君らは。