「ルックバック」の修正に関して

 標題通り。

 正直、本当にオープンな表現というのは、極々限られた場所でしかできないわけで、事実上、あらゆる表現は自主的であれど、規制がされていると言える。出版前は、筆者と編集、プラスアルファでしかできないわけであって、その規制の基準が本当に正しいのか、というと疑問が残る。実際に炎上して打ち切られた作品があったしな……

 ただ、大衆による規制こそが正しいのか、というと、それもまた難しいのだが、大衆に向けた表現であれば、その判定を大衆がする、というのは間違ってはいないかと思う。ただ、本当に大衆なのか、ノイジーマイノリティなのではないか、専門家の意見はどうなのか、事実関係はどうなっているのか、色んな点を考慮に置く必要があり、実際的には、個別に判断するしかないだろう。そんな曖昧なことばかりで嫌になってきてしまうが。そもそも、人間や社会というものが曖昧さに蓋をして、日々をこなしていくものだから、創作に関しても、そうなってしまうんだよな。まあ、一番妥当なのは、事実関係かな。この場合では、犯人はどういう症状、状態の想定がされていて、それが現実的な症例と同じであるか、どうか。まあ、これはファンタジーの入っていない作品だから使える判断基準で、実際にはもっと複雑だが。

 表現による自由というのは、一歩間違えれば、表現を通せば、何をやっても良いという理屈に繋がってしまう以上、規制されたものにしかならないだろう。それは、時代性とは関係なく、そういうものだ。さらに言えば、基本的に表現にはコストがかかり、そのコストをパトロンか大衆か誰かが支払うわけだから、そこに事実上の規制も存在する。中世の美術が宗教画しかなかったように。しかしながら、その規制があるからこそ、生まれた表現というものもあり、それもそれで評価されているのだから、規制が創作そのものを蝕むわけでもない。育む土壌にもなり得る。制限は想像の母だ。

 「ルックバック」に関しては、個人的には現状の表現でも筋は通るし、完成度に影響を与えるレベルにはなっていないと感じる。もし、最初からこれが出されていたとしても、特に気にしなかっただろう。そういった目に見えぬ修正は無数に行われているわけだから、目に見えた一つだけを取り出して、前の方が良かった、というのは、アンフェアだと感じるので特に気にならない。まあ、あえて言うのなら、修正前の方が良かったとは思うが。