やらなければいけないことに関して

 きっと、現代人はやらなくてはいけないことがある状態になれている。小学生にとって、それは宿題だろうし、高校生にとっては受験勉強で、家族を持てば家族サービスだ。なにか、やるべきことが常にあって、それから逃げながら、遊んでいるという感覚が抜けきらない。少なくとも、僕はそうだ。

 大学生時代であれば、就職しなくても生きていけるような何かのスキルを身につけなければと思っていたし、社会人になってすぐの時も、この現実を打破するためのなにかをしなければと焦っていた。今、目的がなく、それが最善だと理解しているのに、どこかで追われているような感覚だけが残っている。

 だから、なにをやっても、心のどこかでは楽しくないように思えてしまう。家を出なければと思いながら、引き籠もりを続けているMMO廃人のような気持ちだ。この焦りを消すには、どうすればいいのか、皆目見当が付かない。映画を観ていても、ゲームをやっていても、今すぐこれを消して、やらなければいけないことをしなくては、という気持ちが脳に巣くっているのだが、実際に消してみるとそんなものは存在しないので、ただただ焦燥感に追われるだけになっている。統合失調症の人々が説明出来ない不安感の説明に、常人では理解出来ない陰謀を持ち出してしまうように、僕もその焦燥感をどこかに押しつけたい気持ちが湧いてくる。

 きっと、本当に楽しく生きていけるようになった時、この焦りは消えてくれるのだろう。本当に? むしろ、人生を無思考に、あるいは妄信的に楽しんでいる人々をあんなに嫌っていたのに? 悩んでいる人が、苦しんでいる人が、賢いだの、事実を見ているだのという因果を取り違えた理解をしていて、主体的に悩んでいるだけではないのか? 賢しく見られるために、自ら苦しんでいるだけでは? いや、そうではない。ただ僕は事実を把握したいだけなんだ。間違った理解のまま生きていきたくない。なら、事実はここにあるじゃないか。理論的に正しい生き方がわかったとしても、それを体感できずに、意味のない悩みや焦りを引きずって、中途半端に全てを捨てきれず、体に染みついた社会の常識って奴に振り回されている奴がいる。それが事実で、それがお前だよ。