楽しいに関して

 先日のアンドロイドの件を考えていたり、妻と議論していた時に思ったのだけれど、虚無の作業をすることによって、『幸福になる』と考えると、それをしなくてもいいのではと感じるのだけれど、『楽しい』と考えると、それをしていればいいのではと思えてきた。つまり、幸せと楽しさには大きな違いがあるように思えて、その差を考えて見た。

 幸福というのは状態であると考える。上記の場合は、作業をすることによって、結果、幸福という状態になるというように僕たちは解釈した。

 楽しいは動作に付随する感情であると考える。上記の場合は、作業自体を楽しいと感じているというように僕たちは解釈した。

 つまり、『幸福』は結果に関わることであり、『楽しさ』は過程に関わることである。もし、結果だけに意味を求めるのなら、その手段である必要はないように思えるから、作業は止めても良く、過程に意味を求めるなら、その手段自体が目的なので、続けるべきだと思ったのかもしれない。

 人生についても同じなのか。結果は死という状態であると確定しているのだから、少しでも『楽しい』過程を目指すべきなのかも知れない。その辺の細かい感情の分類にもう少し目を向けてみれば、人生の道しるべとなるのだろうか。