トライ&エラーに関して

 全てを頭の中でシミュレートできるような頭脳は持っていないし、そもそもそれが面倒だと思ってしまうので、先の先を読むみたいなことは苦手だ。「メギド72」とか簡単なボードゲームであれば、その選択肢は少ないから、流石に簡単な先読みぐらいはするが、将棋や囲碁のようなアブストラクトのゲームでは基本的に諦めるぐらいには苦手。そんな僕なので、トライ&エラーの軽さに惹かれる性質がある。

 

 機械の設計などの仕事をしていたことがあるのだが、設計時に要素の全てを考慮できればいいのだけれど、事実上、それは難しい。ましてや、僕みたいな人間であれば。そのため、試作品を作って、確認してというループを繰り返すのだが、その一周がなかなか長い。一週間とは言わないが、数日かかってしまう。こうなると、なんかもうめんどくさくなってしまって、適当でいいやという気持ちが働いてしまったことを覚えている。セーブポイントがトライの場所(ボスの居場所とか)から遠いゲームでも、それを感じてしまう。試行錯誤をしようにも、そのループが長くなると、面倒さが先だってしまうのだ。

 

 一方、プログラムなんかは比較的簡単に試行錯誤が出来て、その結果を反映させることができるので、僕好みだ。リトライのコストが低く、すぐに次の施策を試すことのできるゲームでも、同じように感じる。

 

 社会というのは、どうしてこうもトライのコストが重いように出来ているのだろう。だからこそ、多くの人間が間違ったトライだと理解しているのに、それを続けており、社会が安定するのだろうが。実際、やってみなくてはわからないことなんて多々あるだろうにね。この重さが嫌になることがある。