無口に関して

 今日、仕事の休憩中にいつものように口を閉ざしている時に思った。家に帰れば、止めどころをつくらなければ、黙れないのに、外ではどうしてこんなに話す気になれないのだろうかと。

 まず、第一に、相手に対する興味が全くないことだろう。仕事で関わるような人間はほとんど全ての確率で自我がなく、接点もなく、全く興味がない。ゆえに、僕は話す気が起きない。その会話がすでに労働のように感じてしまう。望まないことをしているのだから。

 次に、話している内容が興味なさすぎる。生活の話なんて、本当に意味ないと思っている。具体的に言えば、天気の話とか、食べ物の話とか、世間の話とか、全く意味がない。情報がないのだもの。誰もがわかっていることを確認しているだけ。無を無だと主張して、なにがしたいのか察することは出来ない。ニュースがどうして、価値を持つかわかっていないの? もうちょっと勉強したら? でも、僕たちが興味を抱く内容を、彼らが楽しいと思うとも思えない。共通のないようがないのだ。

 最後に、好感度を上げるつもりがない。ギャルゲー脳と言われてしまうかもしれないが、僕は人との交流に対して、好感度のようなものを何となく仮定している。たぶん、みんなそうだと思う。ミッションをクリアしたり、一緒になにかをこなせば、あるいは会話をすれば、好感度が上がる。大なり小なり。相性によってはそうならないこともあるけれど……でも、仕事や世間で関わるような人間とは好感度を上げる気がない。むしろ、互いに距離を置きたいと思っている。僕のプライベートな時間や情報を売り渡したくないからだ。そうなると、完全に世間話の価値がなくなってしまう。

 話したい人とだけ話せばいい世界であればいいのに。別に、それでいいだろ。発話だけがコミュニケーションの手段だった時代からどれだけ月日が経ってると思ってるんだ。チャットやメールで用件だけ伝えればいい世の中になればなぁ。