結果がわかっていること

 どうにも、毎日がつらい。その原因を探ってみると、僕は結果がわかっていることをただ繰り返すのが嫌いなようだ。

 これは修行嫌いの理由でもあるのだけれど、すでに結果が分かりきっていて、それでもやらなくてはいけないことが本当に苦痛なのだよね。誰かやってくれないかなと思ってしまう。いつでもそうで、なにか理解してしまって、それ以降がルーチンになるとただ苦しくなってしまう。仕事なんかその最たるもので、しかも、社会的には一つのことをやり遂げろみたいになっているので、相性最悪である。一定の期間が過ぎると、いつも叫びたくて仕方なくなってしまい、くだらない、くだらない、なんの意味があるんだと呪詛を吐きながら生きていくことになる。全く、本質がなく、先がわかっている繰り返しなんて、まさに拷問じゃないか。こんなことを好いている人間がいるなんて信じられない。結果がわかっていることなんて、やりたくない。

 だから、人生が嫌いで、世界が嫌いなんだろう。どうせ、僕は死ぬという結果がわかりきっているのだから。