人間をコンテンツにすることに関して

 色々と考えていたのだけれど、結局のところ、僕は人間そのものをコンテンツとしているエンターテイメントが苦手だという結論に行き着いた。

 つまりは、芸能人やアイドル、配信者といった部類のジャンルで、どうしてかということを考えている。

 一つ、理由として挙げられるのは、時間対効果、あるいは費用対効果が乏しいことだ。その人間自体をコンテンツとしているということは、創りあげられたものではあるが、その人の日常的なものが最終的なコンテンツとなる。そこにあるのは、生の時間であって、普通の時間軸だ。創作のように、数分にかなりの情報量を圧縮できるようなものではない。だから、どうしてもダラダラとしているように感じてしまう。端的に言えば、飽きる。よく、ラジオとかもそうだが、作業中に流すような感じで良いんだとアドバイスされることもあるが、結局のところ作業に集中してしまって、なにも聴いていないのと同じになってしまう。僕の作業は考えたり、書いたりといった、言語を取り扱うものが多くて。それゆえに言語処理が必要となるものは、併用しにくい。

 もう一つは、僕が言うように、設定や理想と矛盾してしまう可能性が高いことが挙げられるだろう。

 僕がよく言うように、エンターテイメントやコンテンツになにを求めているのかという点が異なっているのだろう。僕の場合は、非日常であって、練り込まれたシナリオやシステムなので、人間自体にそれを組み込むことは難しいということなのかもしれない。