主人公の犠牲

 常々思っていることがある。それは、主人公やヒーローに負担を掛けすぎているのではないかということだ。もちろん、彼らがその使命感から、自ら行っていることではある。けれども、モブたちは助けてもらってばかりで、主人公たちは困難に立ち向かっていく。時には人間一人としての生活を捨てて、それでも戦うのだ。これは現実の天皇制とかでも思うのだけれど、万人のためだからといって、一人を犠牲にしていいのかと考えてしまう。それが許されるなら、誰か一人をばらして、その臓器で複数人を生かすべきだとなると思うんだよね。選択肢もなく人生を奪うというのは、間接的な殺害となにが違うのだろう。

 だからだろうか、僕は「暁の円卓」というジュブナイル小説が好きだ。この作品の主人公は1900年となると同時に産まれた選ばれし存在で、2000年まで生きることが確定している存在で、特殊能力のようなものもある。それを使って、世界で暗躍する組織と戦うという話で、ちょうどその100年を作中で描いている。この作品の中で、彼は40歳頃から歳を取らなくなり、敵と戦っていく。そして、その最後の戦いで、タイムスリップをするのだ。その先は自分が40歳ぐらいだった頃で、その後、本来の主人公から隠れて、普通の人生を送る。そのエンディングが本当に好きだった。彼は、その使命を果たし、そのご褒美のように普通の人生も贈ることが出来る。そこまでして、ようやく彼が報われたように思える。