どうせ死ぬのに

 僕はよく、どうせ死ぬのに、どうして何かをするのか、ということがわからなくなって、検索をかけることがある。その結果はいつも残念なものだと知っているのに、同じようなことを考えている人を探してしまうのだ。よくある勘違いを示そう。

 

 まずは、生きる理由を知るために生きているんだと思いますという言説。これは意味がなくて、つまり、生きている理由はないのだ。人間が、あるいは僕が発生した理由はある。しかし、生きる理由はない。あえて言えば、今まで生存競争に打ち勝ってきた生物は本能的に生きながらえるように出来ている。そういう、物理的な理由なので、この答えは全くナンセンスだ。使命? 運命? 信仰の別称でしょ。

 次に、魂とかそういう宗教的なもの。中世ヨーロッパの人間かな? よく、魂は~とかいう人がいるが、そういう人は魂をなんだと考えているのだろう。目に見えない力があるように、魂があるなんて言っている人がいるが、人間の目という器官で感じ取れないものがあるという当たり前すぎることと、魂などという架空上の存在が実在することは全く理論的に繋がっていない。二元論では一般的に議論されることだが、僕たちがこの物理世界で生きている以上、魂のような存在がそこに干渉するには、物理的な現象を引き起こさなければいけない。そして、それは感知できるはずだ。なぜなら、物体に干渉しているのだから。しかし、現状、そんなものは観測されていない。そして、そんなものはなくてもあらゆることが説明出来る。たとえばさ、僕が突然、貴方を刺し殺して、その理由として、魂みたいな存在が、僕の手を動かしてたんだって言いだして、それが事実だなんて、誰が思う? 車を止めたいと思った時に、魂や神様に問いかけます? 僕はブレーキを踏みます。信者は祈ってればいいや。そうすれば、ダブルスタンダードでなくて済むから。

 これもよくあるんだけれど、他人のためとか、社会のために生きろみたいなものもある。これも論理破綻していて、僕がどうせ死ぬという嘆きは、そのまま、人類は全て死ぬということと繋がっているんだよね。仮にそうでなかったとして、世界に僕の名が残ったり、DNAの情報が残ったり、心の中で生き続けたり、そんなことが起こったとして、だからなんなの? 全く意味がわからない。そんなものに意味はないじゃん。僕は死ぬんだよ?

 どうせ死ぬのは正しい。だから、思う存分楽しめばいいという人もいる。でも、なら、そうじゃなくてもいいじゃん。結局さ、今すぐ死なないという理由にはならないんだよ。楽しいとか面白いとか気持ちいいっていうのも、脳内の物質の作用を感じているだけであって、虚しいものだ。その虚しさすら、ただの現象なんだけれどね。

 ああ、そうか。結局、無条件に生きられる人は考えずとも生きられて、考えざるをえない人が延々に意味のないことを考えているだけなのか。まあ、仕方ないよね、脳がそういう構造になってしまっているのだもの。その事実がただただ虚しいが、それを感じる僕も、その感情もただの現象だものね。その諦観、事実が生み出す、どこまでも何もない荒野で、僕はどう生きていいのかわからない。論理的に無理だと思う。そうでないのなら、誰か教えてくれ。僕を論破してくれよ。