死ぬ前に絶対やりたいことリスト:2019年5月

 死ぬ前にやりたいという概念が多義的では? と思ったので、限定して考えみようと思う。本当は一日で出来ることぐらいにしておかないと、本当はやる気がなさそうとなってしまうと思ったのだけれど、実際、一日で出来ることは大抵やっているんだよね。そうでなくても、別にやりたいけれど、その前に死んでしまってもいいか、みたいなことばかり。なので、やろうと思えば、今から一週間で出来ることで、それをやらずに自殺はしないだろうなというものを挙げてみる。

 

・公表されているが発売されていない瀬戸口作品に触れる

大英博物館に行く

スミソニアン博物館(特に国立自然史博物館)に行く

・生きているカカポを見る

アイスランド(世界の果て)に行く

 

 今、思い付く人生の楔になっているものはこれぐらいで。あとで、もっと軽い、死ぬ前にやりたいな~ぐらいのリストをつくろう。その前提なら、数も出るだろう。

 ああ、でも、本当は死ぬと考えただけで怖くて、なにも考えられないというのが正しい。何度か死の再現みたいな現象に出くわしたことがあるけれど、本当に頭が真っ白になってしまって、完全にパニックになってしまっていた。そこに僕という現象は存在しないので、本能に従うような行動をしつつ、恐怖に震えているだろう。

 正直、こんなちゃっちい欲望よりも……それは確かに自我が薄い僕の精一杯の欲望だけれど、それでも、死への恐怖の方が圧倒的に大きい。それに僕の人生は支配されてしまっている。

 いや、本当に頭がおかしいと思う。僕たちはどうして、いずれ必ず死ぬとわかっていて、平気な顔をして生きているんだ。絶対におかしい。なにかが間違っている。日常生活が送れる理由はわかる。理論的な回答もわかる。いろいろ調べて、考えて、宗教ではない、物理法則に基づいた、現時点で最も正しいだろうと思われる理屈を知っている。それに従えば、確かに死の恐怖に怯える必要はない。でも、無理でしょ。無理なんだよ。目の前に本当のティラノサウルスがいて、動かなかったら食べられることがないと知っていても、怖いでしょ。怖さ自体を消すことはできないでしょ。現実は狂気の茶番だよ。よく、人はそれを悲劇やら喜劇やらと言うらしいが、僕に言わせれば、これは趣味の悪い絶望的な恐怖劇だ。