焦燥感の理由

 いつもこんなことばかり考えているような気がするけれど。でも、脳内のリソースをかなり喰っている案件で、もし、これがただの誤解によるものだと認識できれば、余裕が出来るはずなので、つい検証をしてしまう。

 まず、この焦燥感をどうして感じているか。これを探ってみると、やはり、人間は、つまり僕は死んでしまうからというのが上げられる。もし、不老不死になったら、こんな思いは抱かないだろうから。でも、その一回きりの人生を、その貴重な時間を何に費やしていいのか、それがわからないから焦っているのだと思う。何をしても、こんなことに時間を使っていていいんだろうかという問いが頭から離れない。仕事をしていても、ゲームをしていても、小説を書いていても、どんな時だって、それが人生を浪費してまでやるべきことだと思えないんだ。

 こういうことを調べていくと、大抵は社会や他人のために尽くせば、焦りは消えるという回答に辿り着く。それこそ、あり得ないことだ。ただの他人のために、この希少な時間を消費したくない。ただ、この時間は僕のためだけに、僕が納得したことに費やしたい。ただ、そんなものが存在していないという問題を除けば、その願望ははっきりしている。

 つまり、僕は変な状態に陥っている。理論的に考えて、この人生は自分のためだけに使うべきで、自分のしたいことをしたいだけやるべきだと考えているのに、そのしたいこと、欲求が思い付かないという状態になっているのだ。おそらく、本当はそうではなくて、やりたいことがあるのだと思う。しかし、今まで生きてきて植え付けられてしまった常識や、冷笑的なままでいる理性が無意識のうちに否定しているのだろう。僕は、その押しつぶされてしまった意欲をただ、呆気にとられたまま見ている。

 どうにかして、僕はこの気力を蘇生しなければならないのだろう。僕がやるべきことはなんだ?