僕にとっての物語に関して

  今まで、何となく、僕は物語が好きだった。だから、物語を想像するのも自然な流れだっただろう。

 

 僕が通っていた幼稚園に、人気の遊具があった。不気味な山を思わせる形をしていて、トンネルのようになっており、滑り台も付いている。僕はそれを鬼が封印されて岩にされているのだとうそぶいた。その物語を創って、同級生に聞かせていた。

 僕が小学一年生の頃、ポケモンが流行っていた。それに合わせて、僕の親友は自由帳にポケモンを書いて、それをゲーム画面のようにして遊ぶということを学校でやっていた。僕はそれを見て、オリジナルのモンスターを作り、シナリオを作り、自由帳上にゲームを生み出した。今にして思えば、それはサイコロを使わないTRPGだ。僕は幼少の頃から模倣者だった。しかし、オリジナルが作者・読者共に飽きられた後も、僕はその自由帳の世界を続けていき、小学三年生で転校するまでその物語は続いた。プレイヤーは5~10人ほどいて、バリエーションに富んでいた。そのゲームを通してしか話さない生徒もいたほどだ。僕が転校する時にクラスメート全員からもらった手紙の内容は、勉強が出来ることと、手品が上手いことと、その『モンスター』のゲームに関することばかりが書かれていた。

 僕は一人で帰るのが好きだった。幼馴染みのような友人がいたから、自然とみんなで帰っていたのだけれど、用事があったりでたまに一人になるととても喜んでいた。一人で帰りながら、妄想に浸る。その中にいると、いつの間にか家に帰っている。それが好きで仕方なかった。

 小学三年生の頃、僕はポケモンのバグ技を勝手に妄想して、それをさも実在するかのように喧伝していた。今思えばよくいじめられなかったものだと思うが、きっと皆、僕のそれが嘘だとわかっていたのだろう。そんなくだらないことをしていた。

 小学四年生の頃、親友と学校をぶらつきながら、ひたすら物語を創っていた。それはまるで、僕がGMのTRPGだった。判定はないから、PBW、いや、プレイ・バイ・トークとでも言うべきものだったと言える。一種の吟遊だった。様々な作品のエッセンスをパクりながら、適当な物語を創り、それを友人にプレイしてもらっていたのだ。その頃から、僕にはセンスがなく、借り物の物語しか持たなかった。

 中学生の頃、ようやく、本を読むようになった。こんなに面白いものがあるのかと驚いた。ジュブナイル小説から知識本まで、図書館に通ってひたすら読んでいた。給食中も読んでいたから、担任から苦言を呈されたことを覚えている。気にしなかった。僕の教師は本の中にいたからだ。今思うとよくいじめられなかった(略)

 高校生の頃、「涼宮ハルヒの憂鬱」のライブシーンをYouTubeで観てしまった。それまで高校で青春をしていた僕の生活は一瞬でぶっ壊れた。学校から帰ってくるとバイトに行き、帰ってくれば午前二時になるまで寝る。当時、ニコニコ動画には制限があり、新参者は午前二時にならなければ、アクセスが解放されなかったからだ。そして、アニメを観て、エロゲーをやって、学校で寝られない時間は全部ラノベに費やした。あの頃の僕は、間違いなくオタクだった。

 

 そんな人生を送ってきたから、僕は物語に取り憑かれていて、なんの意味もなく、初めてパソコンを買った時から、僕のドキュメントにはネタ帳というメモが残されていた。本当に何かに使うつもりはなかった。ただ、物語を考えるというのは、僕の中で最上の暇つぶしであり、自然なものだったのだ。設定の一端みたいなものはネタ帳という共通のメモに残し、独立した物語になった時、初めてナンバリングが付けられ、別のファイルになる。現在でもその慣習は続いていて、番号は287になっている。

 

 大学生の頃、東方同人にはまった。商業誌では成立しないような自由さに始めは希望を見出していた。イベントがあれば地方都市にまで出かけて、バッグいっぱいに同人誌を買い込んだ。長距離バスの人に同人誌が百冊弱入ったバッグを手渡したら、見た目よりも重かったのか、漫画のようにそれを地面において、驚いた顔をしていたことを未だに覚えている。

 そうして、大学卒業が近づいてくる頃には、僕はどうやって生きていくのか、わからなくなっていた。人生は虚無だ。このまま、普通の人生を送り、普通の会社に通うのだろう。そして、定年を迎え、死ぬのだ。無そのものの人生。物語にも限界を感じ始めていた。今思えば、それは勉強不足ゆえの浅慮なのだけれど、当時は深刻だった。その展開はあらゆる束縛に囚われ、限界があると感じていた。結果、僕はただ、ひたすらに寝るようになった。起き上がる理由がなくなったのだ。起きている時間が二時間ぐらいしかなかった。そうなると、夢を大量に見る。そして、その夢に感動して、涙を流していた。夢の中では、自由な物語が自動で生成される。思考力もないから、単純に感動も出来る。理想郷だと思った。そして、僕は次第に現実への執着を失っていった。