物語マシンになりたいことに関して

 最近、ようやく、言い訳を思い付いた。

 僕が好きなのは物語だ。それは僕の頭にあるようなものではなく、小説や映画、ゲームと言った形を持つ。僕の頭の中にあるものは? アイデアだ。物語ではない。だから、僕は物語の形にする必要がある。そして、他の人に評価してもらわなければならない。そうでなければ、僕の物語が面白いかどうかは一生、わからないのだ。だから、形にする必要がある。ミューズへの捧げ物として、僕は創作をしなければならない。

 僕の物語は確かに人生に意味を持たせるような面白さではないだろう。しかし、最高の物語を創るための踏み台ぐらいにはなれるかもしれない。最高の物語を創り出すために研究している人々の一端に加わることができるかもしれない。それは根源の渦に向かおうとする魔術師、超統一理論に向かおうとする科学者と同じだ。彼らは皆、自身がそれに到達することがないと知っていながら、最善を尽くす。

 確かに、君が創る必要はない。けれど、僕一人で創れるのは小説かアドベンチャーゲームがせいぜいだろう。そして、君の脳にあるアイデアは、それらの媒体が無ければ、物語という形にならないのだ。ならば、君に出来ることは一つだ。

 僕は物語マシンになりたい。物語を摂取して、それを解析して、より良い物語を生み出したい。より、物語のイデアに近づきたい。そのためだけに生きていきたい。人生をミューズに捧げたい。そんな気持ちが最近、わき出てきているんだ。それが一過性でないことを、なぜか僕の感情は祈っている。

 僕はどうしたいのだろうか。僕自身も答えを知らないが、毎日、出来ることをやるだけだ。