「メギド72」に関して

 最近、ソーシャルゲームの「メギド72」を始めた。これが予想よりも良く出来ていて、どうして早く始めなかったのかと後悔している。

 このゲームは、こういうRPG系ゲームの最先端にいると思う。その理由は以下の通りだ。

 まず、メギドの思想。レアリティが存在せず、それぞれにしか出来ない役割というものを強く意識されている。単純が上位互換が存在する場合、キャラクターの設定しかそれを上回るものはなく、愛でしかそれを選ぶ理由がなくなってしまう。その場合、縛りプレイを除いて、そのキャラクターが存在する意味がない。しかも、愛を持っているプレイヤーはその境遇に次第と怒りを覚えてくるだろう。だから、低レアリティのキャラクターは存在する必要がないのだ。

 次に、キャラクターの覚醒要素。これはアイテムを必要とし、周回、やり込み要素となっている。これはソーシャルゲームの宿命だろう。しかし、周回には制限のアイテムとスタミナを消費すればクリアしたことになるシステムが実装されている。それが使用できるようになる条件がよくて、それは全員生存の状態でボスに勝つことなのだ。この、作業になってしまったバトルを省くというシステムは、ペルソナシリーズなどの弱すぎる敵とはエンカウントしないという仕様でコンシューマーには存在していた。それがソーシャルゲームにまで広がったのだという感想を抱いた。これは、ユーザーフレンドリーな仕様で双方にとってメリットがある。これは先述の能力の個性と結び就いており、よく考えてボスと戦うことで、全員生存を目指す、といった部分と上手く接合していると思う。覚醒に必要なアイテムは一つでもあれば与えることができ、随時ステータスが上がるようにもなっている。これも、なかなかアイテムが集まらないストレスを軽減している。性能に個性があるため、育てるキャラクターが複数になることが多いので、何かが手に入らないという状態も、あまり気にならなくなっている。

 たとえば、FGOではレベルを上限まで上げて、アイテムを集めて覚醒、となっている。これは二重チェック問題と僕が読んでいる問題をはらんでいる。「モンスターハンター」シリーズで思ったことなのだが、素材を集めた後に金を集める必要があるのだ。それぞれに最適な作業があるがゆえに、作業を二重にする必要がある。片方だけでも大変だから、予想外に片方が出来ないとなった時に心が折れやすい。プレイヤーが挫折し、辞める機会をわざわざ増やしているのだ。これがない。シンプルでわかりやすくなっている。

 それらがコアなシステムとなっており、とても良く出来ていると思った部分だ。

 そのタイプのゲームは、ソーシャルゲームであるゆえの周回要素を背負う必要性と、RPGであるゆえの歯ごたえのある工夫出来る戦闘を両立する必要がある。この歪みは、この間のFGOの奈須きのこのインタビューにも現れていて、やはり、作業感が虚無感に繋がり、ゲームをやめてしまう理由になっているように思えた。この部分を上手くまとめたなぁ、という印象。こういう組み合わせ方が最強だと思う。もう少し先に進む余地はあると思うが……たとえば、オーブにはレアリティが残っているので。

 こういう、システムの進化が、僕は嬉しい。未来になればなるほど、面白い作品が生まれると、希望を持つことができるから。