労働に関して再び

 仕事が嫌すぎてどうにか抜け穴がないか探すため、今一度、労働について考えて見た。

 僕は労働を、時間やスキルを金に変換する行為であると位置づけている。そして、僕はこの時間を消費して、金にするという行為がまず嫌いだ。どうしてかというと、現代日本において、ボトルネックとなるのは主に時間と気力であり、金銭でないと思っているからだ。皆さんは、金がないから断念したことってあります? そりゃ、多少なりはあると思うんですけれど、それよりも暇がない、時間がない、やる気がない、なんてことの方が多いと思うんですよね。少なくとも、僕は圧倒的に後者の方が多い。ならば、金の方が価値があるんですよ。労働っていうのは、MTGで手札を消費してライフ回復するみたいな、かなりディスアドバンテージの強い行為だと思っているんですよね。(TCGプレイヤーにしか通じない例え)

 ならば、時間の消費が少ない方がよいというわけで、そのために取れる方策はいくつかあるというシンプルな回答が導けた。

 まず、スキルを向上させること。希少な、特異な能力を持っている人が短時間で生きていけるだけの収入を得ているのはご存じの通り。ただし、僕にはあらゆる才能がないし、だからと言ってスキルを向上させようとすると、そのために時間を費やさなくてはならないという本末転倒な結果が待っていることは想像に難くない。だから、もし、このルートをとるならば、少しでも興味のある内容にして、スキル向上が時間を奪われるものではなく、積極的にやりたいことだという方になる必要がある。

 もう一つは、そもそも生存に必要な金を下げるという考え。これは簡単に始められるだろう。僕は金というものが嫌いすぎて、むしろ浪費家という最悪な存在なので、これを改めることで優位に立つことが出来るだろう。夫婦で同居している今のように、生活手段を変えることにより、生命維持費をかなり下げることも出来ると思われる。シェアハウスみたいな形態も増えていくだろうし、僕か妻の両親が死ねば、実家が手に入る可能性もある。

 ただ、結局、正社員をすると、週40時間は最低でもかかってしまうというのが、ネックなんだよなぁ。これを32時間と出来るだけでもだいぶ変わると思うんだけれど。まあ、僕は選り好みができる立ち位置の人間ではないんですが。ただ、多くの人間が良い労働条件を諦め、労働基準法に基づき会社と戦うことを避けていたのを見てきた人間としては、本気で自分に有利な労働をしようと思えば、意外に我が儘が通るのではという気もしている。まあ、定年まで働いて孫見たいみたいな人はそんなことできないわな。来週には電車の染みになっているかもと思えるから、僕は誰を敵にしようとも、快適な生活を諦める気はない。