努力の仕方

 努力ができないタイプだと自覚している。それゆえに訓練とか努力とかについての本もよく読む。自分の足らないものを補いたいという意志はあるのだ。できるかどうかは別として。その中で、Deliberate Practiceという説があることを知った。僕の経験からすれば、これは正しいように思える。

 大学時代、無駄に時間が余っている時に、毎日絵を一枚描くという練習をしていたことがある。それは一年続いて、ほとんど毎日のようにやっていたのだけれど、最終的にほとんど上達することはなかった。或いは、社会人になってすぐ、余裕がある時に、一日四ページ以上は必ず書くという訓練をしていたことがある。これもほとんど意味がなかったように今は思える。理由はしっかりとわかっていて、それは集中的な訓練になっていなかったからだ。

 Deliberate Practiceでは、常に一つ上を目指し、フィードバックがあり、プレッシャーがあり、その訓練自体が報酬であることが重要だと説く。僕の練習はまさにこれから逆行したものだった。締め切りは無いし、公開してもないから評価もない。技術的、精神的なプレッシャーがかかるほどレベルを向上するつもりもなかったし、その割には楽しいから続けていたわけではない。ただ、惰性で、慣性で続けていただけだ。そうすれば、この空虚な毎日に何か意味が押し込めると錯覚していた。

 生まれ落ちたら死んだも同然。ならば、少しでも何かをしなければ、僕は納得ができない。