シリアスなのにギャグっぽくするのって、なんで?

 僕が嫌いなものの一つに、シリアスな場面、シーン、カットなのに、ギャグっぽい要素を入れてくる奴というのがある。あれって、どうして存在するんですかね? 例えば、SWEP8のオープニングシークエンスなんかもそうなんだけれど。相手がギャグに付き合ってやったりしてると更に最悪。いや、撃てよ。殺せよ。戦ってるんだろ? ここでさ、なれ合いみたいなことをしておいて、その後に誰かが死んでたりすると最悪を通り越した悪になる。その死が軽くなっちゃうんだよ。

 どうして、ギャグになって生き残るのか、シリアスになって生き残るのか、その判定が作者に委ねられているように思えて仕方がない。だって、近接したシーンの中、その作中の人物たちは真剣にやっているのであって、それが客から見えて喜劇に見えるか、悲劇に見えるかで、結果が変わってしまうのはおかしいと思うのだ。

 いや、わかるんだよ。確かに緊迫している中の笑いって、すごくいいものになるし、それによって、感情の初速が得られるから感動もより引き起こしやすいってことは。でも、これってかなり高度な技術で、センスもいる。一部の人に限られた武器なんだよ。それなのに、センスのない人間が振り回しているから火傷するんだ。

 要は、ここは真剣なシーンですよ、ここはギャグですよっていうのを明確化しなくちゃいけないし、それによって、前後の真剣さに影響を及ぼさないようにしなくちゃいけいない。大変なんだよ。

 真剣であることを通すと、監督の無能さが露出してしまうから、ギャグっぽいシーンに逃げてしまうのだろう。気持ちはわかる。でも、それが故にギャグをやると、むしろそれはセンスを必要とするせいで、余計に無能さが際立つんだよな。全く、なんでこんな簡単なこともわからないのだろう。不思議でしょうがない。