理屈が欲しい

 理屈が欲しいと感じることが良くある。たとえば、ホラーやファンタジーなどで、唐突に何かの展開になって、そのまま理由が説明されていない時なんかによく思う。現実世界においても、誰かが決めたこととかに対して同じことを思う。なぜなら、理屈が無ければ、何を選んでも良くなるはずだからだ。

 つまり、AがAである理由がなければ、Bでもいいし、Cでもいいとなる。物語にとって、それは致命的な話だ。どういう展開になっても良いということなのだから、物語がそう転んだのは、偶然であり、神の意志であり、それはつまり作者の作為なのだから。そうなってしまえば、もう物語の世界は自立することが出来ない。作者の意志によって動き、作中の道理が無視されることが判明してしまうのだから。

 現実でも似たようなことを思う。慣習的にそうなっていても、理屈が間違っているのなら、それはただの過去の誰かから受け継いだ負の遺産であって、そうなっているのは偶然でしかなくなってしまうから。理屈がなければ、何も成立しえないのだ。

 それを求める気持ちがきっと強すぎるのだろう。世の中は理屈で成立しているわけではない。理性を必要としない人間が大半なのだから。